叔母の孤独死を通して感じたこと

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 2024年1月、叔母が孤独死しました。叔母の死に直面して、人生の生き方について感じたことがあるので、ブログを書きます。

叔母の孤独死

叔母と久しぶりの再会

 叔母は母親の妹で享年56歳です。私と16歳差しかありません。独身で、ずっと祖母と2人暮らしでした。2023年5月に、祖母が老衰(享年80歳)で亡くなり、人生で初めての独り暮らしをしていました。

 私は叔母と比較的近所に暮らしています(徒歩約15分)。しかし、近所だからこそ、いつでも会いに行けると考えて積極的になれず、また、休職中であることに後ろめたさもあり、中々足が向きませんでした。

 ついに私が会いに行ったのは、2024年1月中旬です。年も明けたし、このままズルズルと会わないことはさすがにまずいと重い腰を上げ、会いに行きました。今の気持ちとしては、もっと早くに、もっと何度も会いに行けばよかったと悔やんでいます。また、悔やむと同時に、少なくとも1月中旬に会って話すことができて、まだ救いがあったとも感じています。

 その1月中旬、叔母に久しぶりに会うと、背中が曲がり、目が窪んで腫れぼったくなって、髪の毛にもフケが目立っていました。体調面や生活面で明らかに以前と様子が異なるのに、その2週間後に亡くなるとは思いもよらない私は、そのことに違和感を感じながらもスルーしてしまいました

 その時、叔母には、子育てのこと、会社を休んでいること、両親と喧嘩中で長期間会っていないこと、家の断捨離だけは頑張っていること等の話をしました。叔母は、私の子供の頃からと変わらない態度で、私の話を遮らずにうんうんと頷いて聞いてくれました。それだけで本当に心が軽くなりましたし、本当に有難かったです。

 叔母との話の中で、次のようなやりとりがありました。

<訪問日当日>
私 :『最近体調はどう?』
叔母:『足が痛くて動けない。1日中ずっとコタツで座っている。そのまま夜もコタツで寝ている。おばあちゃんが亡くなってから、おばあちゃんが私に乗り移ったみたいに身体がしんどい。』

私 :『食べ物は買い出しに行けてるの?』
叔母:『足が痛くてあまり行けてない。家に残っている白米を漬物をおかずにして食べている。』
私 :『代わりに買い物に行こうか?』
叔母:『冷蔵庫に食べ物がまだ沢山入っているから大丈夫。』
私 :『また買い物に行く必要があるなら、代わりに行くから言ってね。』
叔母:『わかった。ありがとう。』

私 :『ご飯作るのも体力使うもんね。最近、俺は自炊できるようになったよ。』
叔母:『それだったら、今度ご飯を作りに来てよ。』
私 :『うん。わかった。また今度ね。』

私 :『じゃあそろそろ子供が学校から帰宅するから、帰るわね。』
叔母:『もう帰るんやね…(今まで見たことがない、寂しそうな目をしていた)』

<訪問日翌日 電話にて>
叔母:『昨日、あぱちゃは家の断捨離を頑張ってるって言ってたけど、私の本も売ってくれるかな?』
私 :『うん。いいよ。また取りに行くから纏めといてね。』

叔母:『昔、梅酒を作っているって聞いたけど、その梅酒って残ってるかな?』
私 :『もう全部飲んでしまったから残ってないよ。』

その2週間後に叔母が亡くなった

 叔母と会って約2週間後、母親から電話があり、叔母が亡くなったと聞いて、ただただ絶望しました。両親とともに警察署に行き、叔母の顔を見ると、会った2週間前から様子が変わり、顔に肉がなく、骸骨のようになっていました死因は、高度の栄養失調とのことでした(実際、遺骨は中がスカスカでした)。

 私は本当に悔しかったです。『いくらなんでも若すぎる。早すぎる…。寂しかったんやろうな…。でも、死ななくていいやんか…。』誰にも看取られず、ガリガリに痩せて、目も窪んで、亡くなるなんて、あまりにも悲しすぎました。

 叔母が亡くなった後、冷蔵庫の中を見ると、確かに食べ物が沢山入っていたんですが、賞味期限が半年以上過ぎているものばかりで、祖母が亡くなった時期の食べ物が多く残っていました。また、炊飯器には、どれほどの期間放置されたか予想がつかないほど変色したお米と水が入っていました。

 私は猛烈に後悔しました。『なぜ会ったその時に食べ物を買いに行ってあげなかったんだろう。なぜすぐにご飯を作りに行かなかったんだろう。もっとしてあげられたことがあったはず。叔母のSOSを受け取ることができたはず。私が『そろそろ帰る』と言った時、本当に寂しかったんだろうな、もっと一緒にいてあげればよかった…。』

 『梅酒って残ってるかな?』という言葉は、私が久しぶりに来て、少し生きる気力が湧いて、お酒を飲みたくなったのかもしれません。だからこそ、私の少しの行動の違いで、結果がまるで変わっていたかもしれません。梅酒は、天国で飲めるように棺桶に入れました。

 私に売ってほしいと言っていた本は、ビニール袋に綺麗に纏められていました。足が痛いのに気力を振り絞って本と纏めて、私が取りに来ることを心待ちにしていたのかもしれません。私がすぐに取りに行けば、助けられたかもしれないと悔やんでも悔やみきれません。その後悔と『叔母宅をこのままゴミ屋敷のように置いておきたくない』という思いで、祖母と叔母が大切にしていた遺品については、約2か月間かけて全力で整理しました。

 叔母は、私や母親などの親族に対しては、あまり本音を話さず、甘えたくなかった、心配をかけたくなかったようです。母親から病院に行こうと勧められても拒絶していたとのことでした。しかし、叔母が独り暮らしを始めてから、様子を気にかけてくれていた叔母の友人によると、叔母は『寂しい。元気が出ないから元気になりたい。』とよく言っていたそうです。叔母は、祖母が亡くなり、独りでどうしようもなく寂しくて、でも、懸命に生きようとしていたのです。私がその思いにもっと応えることができていれば、どれほどよかっただろうかと心の底から思っています。

 しかし、今は天国で祖母と仲良く一緒にいることができて、寂しかった期間が短かったと考えれば、叔母にとっては、もしかしたらよかったのかもしれません。そのように考えることが、叔母のためなのかなとも思っています。お葬式では、叔母に「おばあちゃんがいなくて寂しかったよね。寂しかったのに独りで、本当に十分に頑張って生きたよ。本当に本当にありがとうね。あとは、おばあちゃんとゆっくりコタツに入って、仲良くテレビを見て過ごしてね。」と伝えました。

叔母の孤独死を通して、強く感じたこと

 叔母の孤独死を通して、強く感じたことがあります。

 当たり前かもしれませんが、死んでしまったら人生何も残らないということです。お金や財産を残していたって意味がないということです。

 1日1日を大切に過ごさないといけないし、大切な人を大切にする行動をしないといけない愛している人に愛を伝えて、感謝して、優しくしないと心から後悔してしまうということです。

 先延ばしにしていると、私のように後悔することになります。先延ばしにせず、今、大切な人を大切にする行動をする。それが後悔をしない人生を生きることにつながるのだと強く感じました

 私は、叔母の死に直面して、今後は絶対に後悔しないよう、大切な人をきちんと大切にしていこう。大切な家族を何もよりも大切にして行動していこうと改めて強く誓いました

叔母はおそらくセルフネグレクトだったんだろう

 ネットで「高齢者 孤独死」と検索(叔母は高齢者としては若すぎますが)すると、「セルフネグレクト」というキーワードが出てきます。叔母の状態は、まさにこの「セルフネグレクト」が当てはまります。

【叔母の状態】

  • 室内にごみが散乱している。大量の埃が溜まっている。
  • 衣類を着替えている様子がない。着用しているマスクが黄ばんでいる。
  • 長期間入浴している様子がない。
  • 食事を積極的に摂取していない。無頓着。
  • 病院の受診を拒否する。

 もし下記のような「セルフネグレクト」の疑いがある方が、親族や身の回りにいらっしゃったら、私のようにスルーしてしまわず、ぜひ先延ばしにせずに積極的に援助してみてください。援助を拒まれる可能性もありますが、もしそれで亡くなってしまったり、発見されていない病気が悪化してしまったら、本当に取り返しがつきません。絶対に後悔しますので、何とか援助をしてほしいです。

 今の私にはこのようにブログを書くことしかできませんが、世の中から、孤独死・孤立死等の悲しみが少しでもなくなるよう、心から切に願っています。

セルフネグレクトとは、

「自己放任」ともいわれるセルフ・ネグレクト。自宅で暮らしている高齢者などが、食事や着替え、病気の治療など、本来であれば生活の中で行なうべき行為をしない、あるいはできないために、心身の安全や健康が脅かされる状態を指します。
2010年に内閣府が行なった調査では、高齢者のセルフ・ネグレクト件数はおよそ1万1000件とされています。

セルフ・ネグレクトの特徴として、次のようなものが挙げられます。
▪家の前や室内にごみが散乱した状態で暮らしている
▪極端に汚れている衣類を着用したり、失禁しても放置したりしている
▪窓や壁などに穴が開いていたり、傾いていたりする家に住み続けている
▪生活に必要な最低限の公的制度、介護、福祉サービスの利用を拒否する
▪治療が必要な病気やけががあっても、受診・治療を拒否する

社会福祉法人 恩賜財団済生会

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