もう無理しなくていい。休んでいい。逃げていい。

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 私は、「適応障害」を発症し、2023年10月から休職していますが、実際に体調不良を自覚し始めたのは、その年の5月でした。体調不良になり始めてから休みに入るまでの約5か月間、何とか無理して、本当に死んだように毎日を生きて、地獄の苦しみを味わいながら出社していました。

 通勤時間中、ネットで「会社 辞めたい」「会社 休みたい」「会社 休職」というキーワードで検索して、私と同じように苦しみを感じている方のブログを読んだりして、励まされていました。そこで私も、現在、会社に行くのが辛い、しんどいと感じている方のお役に少しでも立てればという思いで、ブログを書きたいと思います。

今回のブログはこんな方に読んでほしい

*会社に行くことがしんどい方

*仕事が原因で心身の体調不良を感じている方

*会社を休職していて、孤独な方

休職に至った経緯・理由

 私は「適応障害」を発症し休職に至りました。まず、「適応障害」とはどのような病気でしょうか。

適応障害(てきおうしょうがい)

日常生活の中で起こった出来事や環境に対してうまく対処できず、心身に様々な症状が現れて社会生活に支障をきたす状態をいいます。ストレスの原因が明確であることが定義上重要となります。

症状はゆううつな気分、不安感、頭痛、不眠など、人によって様々ですが、仕事や学業などを続けたり、対人関係や社会生活を続けることに問題のある状態となります。これらは一般的には正常な人にも現れる症状ですが、適応障害の場合はそれを超えた過敏な状態となります。

e-ヘルスネット 厚生労働省

 私の場合、4月に新しい部署に異動したことがきっかけで発症しました。適応障害が発症した要因は次のことが挙げられると考えています。

適応障害が発症した要因

  • 未経験の分野かつ専門性が高い仕事だった。
  • 業務量が過多だった。
  • 業務量過多にも関わらず、それを担う係の社員全員(私含めて3人)が、私と同じタイミングで異動してきたため、相談できる先輩社員が誰もおらず、滞りなく仕事を進めることができなかった
  • そのような状況にも関わらず、係長が係員全員のマネジメントを放棄し、仕事の進捗管理やフォローをしなかった。私から係長に対して、係員の苦しい状況を訴えても、「いずれ慣れるから」と取り合ってくれなかった。その係長は、マネジメントを放棄しているくせに、係員がミスをすると強く責めた。また、コミュニケーションに消極的で、目の前に座っているにも関わらず、口頭ではなく、わざわざメールでミスや失敗を責めてくるため、人間として理解不能だった。
  • 係長の仕事の振り方がとてつもなく雑で不親切で、「はい、じゃあよろしく。」と書類を渡してくるのだが、それを渡してきた趣旨が分からなかったり、その趣旨を確認しても、「そんなことも分からないのか」と態度で示されたり(分からないから聞いてるんですけど!)、言葉にもトゲがあった。それにも関わらず、仕事を進めるよう厳しくプレッシャーをかけてくるので、苦手意識や萎縮してしまう感情が芽生えてしまった。そのような状況で、仕事を進めるためには前任者に相談するしかなく、休むまでの5か月間、ほぼ毎日、前任者のところに通うしかなかった。
  • 業務量が多く、定時内では終わらないため、何とか仕事を進めるためには残業するしかない状況だったが、夫婦共働きで子供がまだ小さく手がかかるため、妻にワンオペ育児をさせて負担をかけたくないという思いが強かった(以前の部署の際、妻にワンオペ育児をさせたことが原因で、妻が体調を崩した)。そこで朝4時に起き、始発で出勤して仕事を進めていたのだが、それでも仕事追い付かなかった
  • そのため、土日も仕事を持ち帰ってこなさなければならず、全く休む時間がなくなった。また、家族と過ごす時間も奪われて、どんどん仕事が嫌になっていった。子供を公園に連れていくこともできず、父親の役目を果たせていないと自暴自棄になった

 上記のような状況で、新部署に異動してきてから1か月後の5月から、次のような心身の体調不良が発症してきました

発症した心身の体調不良

【身体面】

  • 全く疲れが取れない。
  • 頭痛
  • 眩暈
  • 心臓・胸の痛み
  • 胃痛(胃薬3種類飲んでも治まらない)
  • 下痢、血便
  • 不眠がち、早朝覚醒がち
  • 食欲減退

【感情面】

  • 抑うつ状態。無気力。何事にも興味・関心が湧かない、価値・意味を感じない、楽しさを感じない。自分が何のために生きているのかわからない。消えてなくなりたい。ずっと地獄にいるかのような苦しみを感じた。
  • 自分に自信がない。不安。怖い。仕事したくない。難しい。しんどい。自分にこんなことはできない。休みたい。逃げたい。毎日泣きたい気持ち。むなしい。目が死んで溜息ばかり。

【行動面】

  • 仕事が手につかない。始発で出勤しても、只々1時間くらいパソコンの画面を見つめたり、机を叩いて叫んだりしていた。
  • 誰とも会話をしたくない。人を避けるようになった。独りで仕事を進めることができれば良かったのだが、属人的な要素が強い仕事だったため、なかなか独り立ちができなかった。どうしても、仕事の進め方が分からない、調べ方も学び方も分からない際は、前任者に相談するのだが、それでも分からない場合は、係長に相談するしかなかった。しかし、相談する気力が湧かなくなった。何とか力を振り絞って相談した後は、強い疲労感を感じた。相談できない場合は、仕事が進めることができず、自分を責めてしまい、悪循環に陥った。もっと自分に気力や時間的余裕があれば、解決への糸口が見つかっていたかもしれないが、糸口が見えなかった。
  • 早朝覚醒した後、30分間ほど放心するようになった。
  • 毎日、神頼みをした。出勤前に近所の神社に立ち寄り、「今日は何とか無気力にならず、仕事が進みますように」とお願いした。
  • 会社の入り口に入る前、近くのベンチに座って、5分間ほど放心しないと会社に入ることができなくなった。
  • 家に帰ると、ずっと無表情で暗い顔をしていた。子供から話しかけられても無視していた。子供に八つ当たりし怒鳴ったりしていた。
  • 毎日の日記に、苦しい感情をとにかく吐き出した。苦しくても、諦めずに何とか踏ん張りたいという思いで、「今はしんどくても、いつか慣れるはず、楽しく働けるはず」と無理やり自分を励まし奮い立たせて、毎日必死で出社していた。

 なお、私は、上記のような心身の体調不良が発症し始めた初期段階である6月から、係長には計4回、しんどい状況を訴えてきました。休職直前の9月には、さらに上の上司にも相談しました。しかし、状況は何も変わらず、限界を迎えました。

休職を決断するまで

 私は心身の体調不良が発症して限界を迎えようとしていても、根っから責任感が強いので、心療内科で薬を処方してもらい、何とか仕事しようとしていました。私から妻に、『しんどいから、心療内科に行ってくる。薬をもらえば、何とか仕事も頑張れるはず』と言うと、妻から『薬を飲んでまで仕事をするべきじゃない。休職すべき。』と説得されました。最初は『いやいや、薬さえ飲めば頑張れるんだから。』と受け入れなかったのですが、その翌日出社しようと起床した際、自分の中で糸が切れて、『もう休もう。限界だ。これまでよく頑張った。十分にやった。これ以上無理する必要はない。精一杯やった。上司に何度も相談して状況は変わらなかったんだし仕方ない。もう仕事しなくていい。もう無理だ。もう仕事なんてどうでもいい。このまま死んでるように生きるよりマシだ。』と自分自身で休むことを認めることができました

 午後に有給休暇を取得し、心療内科を受診したところ「適応障害」と診断されました。直属の係長がストレスの大きな要因だったため、係長ではなく、さらに上の上司に電話で説明し病気休暇を取得することになりました。

もう無理しなくていい。休んでいい。逃げていい。

 私は本当に休職して良かったです。あのまま働き続けていたらどうなっていたか。より体調が悪化して、適応障害ではなく、うつ病になっていたかもしれません。

 実際、私の以前の部署の上司が、私が休み始めた頃と同時期にうつ病となり、2024年4月に自死されたと聞きました。その上司は本当に部下想いの方で、以前の部署で、私が直属の係長にパワハラされている時も守ってくれたり、業務過多で土日も休みなく働いてる時も仕事を引き取ってくれたり、尊敬でき、信頼できる方でした。その方との面談の際に言われたことで、強く印象に残っている言葉があります。『仕事よりも、家族を一番に考えたらいい。仕事はあくまで家族を支えるものだから。」。その方には奥さんも子供もいます。そんな方が、家族を残して自死されたと聞き、どれほどの苦しみがあったのかと大きなショックと組織への憤りを覚えました。真面目で人想いで優しい人が苦しむ、そういう社会や組織がこの世から無くなってほしいと心から強く思います。

 確かに、休職すると、同僚から白い目で見られるかもしれません。迷惑をかけるかもしれません。しかし、会社を休職したいほど苦しい場合、そんなことを考えている場合でしょうか。所詮は仕事、会社です。死ぬ直前に、もっと会社で仕事すれば良かったとはならないはずです。家族や自分自身が何より一番なはずです。私の場合、一番は家族です。休職に入る前は、家でも抑うつ状態でしたので、子供から話しかけられても無視したり、八つ当たりして怒鳴ったり、土日も持ち帰った仕事をしていて、子供を公園にも連れていけなかったり、本当に父親の役目を果たせていませんでした。妻の前でも暗い顔をしており、妻は私が寝た後、深夜に一人で泣いていたそうです。私は妻から説得され、目を覚ましてもらい、背中を押してもらう形で休職することを決断できました。妻には本当に感謝しかないです。

 私は休職期間が長くなってしまったので、今後出世する可能性が低いです。しかし、別に出世しなくたっていいと思っています。それよりも、土日に仕事をする必要がなく、家族と笑顔で過ごせるほうがよっぽど幸せです。家族との時間、心と身体の健康のほうが大事です。死んだように生きるのはもう嫌です。毎日泣きたい気持ちになりながら会社に行くなんて二度としたくありません

 会社に行くことがしんどい方、苦しい方はもう無理しなくていいと思います。もう十分に頑張ったんです。休みましょう。逃げたっていいんです。自分にとって本当に大切なもの、大事なことは何かもう一度考えてみて自分家族ファーストいてください

 ※休職し始めた当初に読んだ本で、励ましになった本があるのでご紹介します。悩まれている方は、本屋さんでパラパラとでも読んでみてください。

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感想(6件)

~おわり~

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